Troon_logo.JPG

2016年05月01日

悲しみは海を渡る

 −荘厳なゲートをくぐり、横目にコースを見ながら広大な敷地の中をゆっくりと走っていくと、歴史と品格が感じられる瀟洒なクラブハウスに辿り着く−
というのがゴルフコース、特に名門と言われるコースに向かうときの高揚感を伴ったイメージだったのですが、歴史ある名門リンクスコースを訪れたとき見事にそのイメージは裏切られました。

 リンクス巡りを始めて間もなかったということもあり、最初にこのイメージを見事に裏切られたのは、エディンバラから東へ約20マイルのEast Lothian地方にある名門、North Berwickを訪れた時でした。住宅街を海岸線へ向かって走っているとあまりにも唐突にクラブハウスが目の前に現れました。住宅に並んで、という感じで。そして反対側に目を向けるといつの間にかそこにはリンクスコースが広がっている・・

N.Berwick_Clubhouse(web).JPG左端の屋根に時計が見える建物がNorth Berwickのクラブハウス。周りの住宅との見分けがつきません・・・






 その後幾つものリンクスを訪ねましたが、大体どこも同じで要するに海岸沿いの小さな町や村に自然とゴルフが溶け込んでいるんだな、ということが回を重ねるうちに感じられて来ました。

 ところでこの最初に心地よいとも言える唐突感を与えてくれたNorth Berwickといえば世界で最も古い「自然が創造したレイアウトを今でも使っている」コースの1つで設計者不詳、クラブは1832年創立の歴史ある名門コースでありながら敷居の高さは感じられず、それでいてセクレタリーをはじめスタッフ全員がジェントルマンの対応をしてくれる、私・愛甲も大好きなコースなのですが、ここに来ると19世紀のゴルフ界いやゴルフ史を代表する若き天才・Tom Morris Jr.(ヤング・トム)を思い出さずにはいられません。

 17歳で全英オープンに初優勝すると以降前人未到の3連勝、当時は優勝者にはトロフィーではなくチャンピオンベルトが贈られ、まず起こらないという想定で3連勝した者にはベルトを取りきりにするという決まりもあっさり破ってしまう強さ。翌年はそのベルト作成が間に合わないという理由で開催されず、再開された次の年にまた優勝と実質4連勝を成し遂げたという実績もさる事ながら、当時は挑戦試合と呼ばれた1対1又は2対2で戦うマッチプレーが主流で、イングランドをはじめ各地で遠征試合を行い連戦連勝、英国全土へゴルフを広めた功労者でもあります。

 1875年9月、その遠征試合で父・Tom Morris Sr.(オールド・トム)*1)と組んでWillieとMungoのPark兄弟*2)と戦ったコースがNorth Berwickで、その試合中に突然、妊娠中だった妻のMargaretが難産により危篤という報せを受け、コースが用意した舟に乗って対岸のSt. Andrewへ急いで戻ったものの自宅に着いたときには妻と生まれてくるはずだった子供も亡くなっていた、という悲しい話の舞台でもあります。この出来事の後は人が変わってしまったと言われたヤング・トム、結局その数ヵ月後のクリスマスの日に24歳の若さでこの世を去りました。

Tom Morris_Grave.jpg
生まれ育ったSt. Andrewsに眠るヤング・トム。
手前に寄り添うように父・オールド・トムが眠っている。



 


 North Berwickでのプレー中にフォース湾とその対岸のSt .Andrewsを見つめて物思いに耽っているゴルファーを見かけたら、それはヤング・トムに思いを馳せているゴルフ馬鹿の可能性が高いので、「おい、後が詰まるから急げ」などと言わずにしばし寛大な心で見守ってやって下さい。

1H to Forth1.jpg
1番ホール横から夕暮れのフォース湾とその先の対岸、St. Andrews方面を望む。
Morris親子を乗せた舟はこの辺りから出たのだろうか、と想像してみる。





【注釈】
*1) このコラムにも度々登場しているゴルフ界の伝説的人物。自身も全英オープンに4勝の名手だが、息子と組んだ挑戦試合には滅法強かった。因みにヤング・トムはこの父親に初めてゴルフで勝ったのは13歳のとき。

*2)兄のWillie Park Sr.は第1回全英オープン優勝を含む4勝、弟のMungoも1874年に優勝している強豪で、Park家はMorris親子とはライバル関係だった。実はこのNorth Berwickでの試合は決着がついており、2ホールを残してMorris親子の勝利に終わっている。
posted by 愛甲知己 at 21:01| Comment(0) | TrackBack(0) | ゴルフ・あれこれ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月12日

ゴルフとオリンピック −その2− ヒトラー屈辱の撤退

10年をひと昔とすれば、私・愛甲が初めてヨーロッパの地を踏んだのは「ふた昔」近くも前のドイツでした。早朝フランクフルト空港に到着、近くのホテルで仮眠の後、迎えてくれた知人の車に乗り込み近郊のゴルフ場へ。当時は東南アジアのキャディー付きゴルフに慣れきっていた為、手引きカートを引くのは良いとしてもコース途中の「お茶店」で飲み物などが買えるものと思い込み(*1)、乾燥した気候に喉が渇いて苦しかった記憶があります。

DUS_Kosaido.jpg
【ドイツでは数多く訪れたデュッセルドルフ近郊のコース18番グリーンを望む。
山岳コースと言えるほどアップダウンが激しい。】





そのコースは丘陵にありアップダウンが激しく、「ゴルフはスポーツ」と改めて思い知らされたものです(苦笑)。以降何度か平坦なコースも歩きましたが最初のイメージが強いのか、或いは最も多く歩いたのがやはり丘陵というより山岳に近いコースだったからか、ドイツのコース=体力を使うというイメージが固まってしまいました。
さて、以前オリンピックでゴルフが公式競技として行われた2つの大会を紹介しましたが、実は1936年にあのヒトラーが威厳を賭けたドイツ・ベルリン大会でもなんとゴルフが行われていたのです。「我が大会では存在する全ての競技を行わねばならん」と考えた彼、本大会が終わった1週間後にベルリンから500マイル南の温泉保養地、バーデン・バーデンで開催し36カ国から2人1組のチームが参加、豪華な優勝トロフィーも彼自身が寄贈するという力の入れようでした。
今でこそベルンハルト・ランガー、マーティン・カイマーのメジャー優勝者(*2)を輩出していますが、当時ドイツでのゴルフはマイナー、スコア80以下で回れる選手は10人もいなかったと言われています。ところが最終日を前にドイツが2位の英国に5打差をつけて首位に躍り出たニュースにドイツ国民もビックリ。部下から報告を受けたヒトラーは「自らトロフィーを授与する」と急遽ベルリンから車を手配させ現地へ向かったのでした(*3)。
ところがトミー・サースク、アーノルド・ベントレーという猛者2人を揃えた英国が最終日にコースレコードの大爆発。あっさりドイツを抜き去り優勝、ドイツはフランスにも抜かれて3位に転落してしまいました。結果を聞いたヒトラーは顔を真っ赤に染めて激怒しトロフィー授与はドイツゴルフ協会長に任せてその場でベルリンに引き返したのでした。もちろんこの大会の記録はドイツには残っていません。
Golf_Museum.jpg
【セントアンドリュース・オールドコースから僅か67ヤードに位置する英国ゴルフ博物館。
博物館自身が謳っているのでその距離は正確なはず。】




ところで通称「ヒトラーカップ」と呼ばれたそのトロフィー、長年その行方が分からず「幻のトロフィー」とされてきましたが1996年にその足取りが明らかになりました。元々は英国ゴルフ協会の所有でしたが、その後どうした理由かとあるロンドンのゴルフクラブに寄贈されました。ところがそのクラブが経営難から閉鎖された際に全資産をグラスゴー出身のスカルソープ氏に売却、彼がメンバーとなったセントアンドリュース近くのクラブに移されましたがここも閉鎖に追い込まれ、グラスゴーの彼の実家に保存されていた、というのが真相、現在は英国ゴルフ博物館に「レンタル」で展示されています(*4)。
優勝した英国チームの2人には残念ながらメダルはありませんでしたが、あのヒトラーを撤退させたという快挙はメダル以上の功績かも知れませんね。

【注釈】
*1) タイをはじめ多くの東南アジア諸国ではゴルファー1人に対して最低1人のキャディーが付く。また暑い気候のお国柄、ほぼ3ホール毎に休憩所兼売店があり水分や栄養補給ができる。そのため売店前のホールでは飲み物代などを賭けた勝負が展開される。

*2) ランガーは1985年と93年マスターズ、カイマーは2010年全米プロの勝者。ゴルフではマスターズ、全米・全英オープン、全米プロゴルフ選手権が4大メジャーとされ、4大会全てを制した者をグランドスラマーと呼ぶ。欧州では全米プロ(US PGA Championship)の認知度が低く、欧州プロゴルフ選手権(European PGA Championship)の方が格上とする風潮があるところが欧州(特に英国)らしい。

*3) ヒトラー自身は「自分の思い通りに行かない」ゴルフはしなかった。この大会は2人の合計スコアで争われたので、例えば各々がバーディー(−1)とボギー(+1)だった場合は1ホールで4打差になる。もし彼に多少なりともゴルフの知識があれば5打の差はあってないようなもの、と考えたかも知れない。

*4) 展示物は時期によって変わるので、ヒトラーカップを確実にご覧になりたい場合は事前にお問い合わせを。
British Golf Museum
電話:01334 460046
http://www.britishgolfmuseum.co.uk/

posted by 愛甲知己 at 05:56| Comment(0) | TrackBack(0) | ゴルフ・あれこれ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月01日

曇りのち横殴りの雨のち快晴

今週末はロンドン郊外のBrocket Hallへご招待いただきお邪魔して来ました。
題名通りのいかにもイギリスらしい天気でしたが、最終的に晴れたパターンだったのでその逆とは気分的に大違い!やっぱり晴れると気持ちが良いですね。まあ、冬なので1日中寒く北風が常に吹いてたのですが。

さて、今回は自分なりにあるルールを決めてのラウンドだったのですが、これが功を奏したのか前半は+3、ところが後半は調子に乗ってルールを破り+11とは情けなし。

ただこのルールに自信が持てたのは収穫で、次はこれを18ホール守り通せるかが課題です。3423F8EF-16C8-4C74-9DD2-85D06F47B43E.jpg
posted by 愛甲知己 at 07:37| Comment(0) | TrackBack(0) | ゴルフ・ラウンドレポート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月22日

ゴルフとオリンピック

今年2016年はオリンピック・イヤーということでオリンピックとゴルフにまつわる話など。

先日ホームコースのコンペに参加したときのこと。同組になったスティーブ、マイクの2人と和やかな雰囲気でのゴルフを楽しんでいたのですが、私・愛甲が使用したクラブをバッグに付けたタオルで拭いていたところ、それまで冗談など飛ばしていたスティーブが真顔で「そのタオルは何だ!」と怒り出したではありませんか!筆者は何のことか全く分からず頭の中を?が10個ほど回っていたのですが、スティーブに指摘されて「ハッ!」と思いましたね。そう、バッグに付けていたタオルはスコットランド旗のデザインだったのです(!)。Scottish towel.jpg

【これが物議を醸す元凶となった(笑)、スコットランド旗デザインのタオル。
以降、イングランドでのゴルフでは無難なものに付け替えています(汗)。】




私たち外国人にとってはなかなか理解し難い感覚ですが、イングランド人とスコットランド人の互いに対する敵対心は時にたじろぐほどですね。
あれは確かサッカーW杯ドイツ大会開催中、スコットランドのパブに立ち寄ろうとしたところ見慣れない国旗がはためいていたのを不思議に思い聞いてみるとエクアドルの国旗でした。この時も「ん?」と頭の中を?が10個ほど回ったのですが、その日はイングランド対エクアドル戦が行われていたのです(!)。
前回2012年のロンドンオリンピックではチームGB(グレートブリテン)として英国サッカーチームが編成されましたが、果たしてチームワーク的にうまく行くのでしょうか?などと心配していたら殆どがイングランド選手でした・・・

さてオリンピックといえば、今年のリオデジャネイロ大会からいよいよゴルフが112年ぶりに競技に復活します。ゴルフ馬鹿としては折角復活するのであれば発祥の地英国で開催された前回にして欲しかったなどと思ってしまいますが、まずは素直に復活を喜びましょう。
Oldcourse.jpg

【セントアンドリュース・オールドコース18番グリーンからオールドコースホテルを望む。
オリンピック復活にはここ聖地が相応しかった?】



これまでオリンピックでゴルフが行われたのは1900年パリ大会(*1)と1904年セントルイス大会の2回だけ。各々の記録を紐解いてみると、パリでの参加は英・米・仏・ギリシャの4カ国から17選手、男子の金は米国のチャールズ・サンズ選手でしたが銀・銅と英国・スコットランドの選手が獲得しています(*2)。サンズ選手は同大会のテニスにも出場、銀のウォルター・ラザフォード選手もラグビーのスコットランド代表と、今も昔もできる奴は何をやってもできる、ということでしょうか?

セントルイス大会で金メダルを獲得したカナダの国民的英雄、ジョージ・ライオン選手(*3)はさらに凄く、野球、ラグビー、サッカーに加えクリケットの代表選手としても活躍、実業界でも成功を収めた上に容姿も端麗という「これでもか」というくらい天が二物も三物も与えた全く羨ましい人物です。この大会の参加人数は77名と大幅に増え盛況のように見えますが、実は、うち74名が米国で残り3名がカナダと、国際大会とは呼べないような大会だったのですね。そしてこの大会では団体戦も行われたのですが、米国チームが全てのメダルを独占しています。それもそのはず、10名1チームでの競技なので参加チームは全て米国ということで当たり前の結果なのでした。
以上が記録に残る、ゴルフが公式協議として行われた大会ですが、実はその後1936年、あのヒトラーが威厳を賭けて開催したベルリン大会に於いて、なんとゴルフが行われていたのでした。

という訳で、このお話は次回に続きます。


【注釈】
*1) パリ五輪は万国博覧会の一部として行われ、5月から10月の長期間に渡り開催された。実はこの大会では女子ゴルフの個人戦が9ホールのコースで行われ、スコア47で優勝した米国のマーガレット・アボット選手は亡くなるまでこれがオリンピックだったことを知らなかったとされている。

*2) 男子個人戦は36ホールで行われ優勝スコアは167、2位との差は1打と僅差の勝利だった、ようである。(万博のおまけで開催された大会なので記録も怪しいのです)

*3) カナダのスポーツ殿堂入りも果たしているまさに国民的英雄。彼が獲得した、世の中になかなか存在しないゴルフのオリンピック金メダルは現在ロイヤル・カナディアン・ゴルフ・アソシエーションの博物館に展示されている。
因みに彼は6カ国語も堪能だったそうで、どこまで行っても「にくい奴」である。
posted by 愛甲知己 at 06:18| Comment(0) | TrackBack(0) | ゴルフ・あれこれ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月18日

雪には敵いません・・・

初雪。
このところの新年会ラッシュで連続3日間で蓄積されたアルコールを抜きにジムへ。
体もリセットしたところでルーティンのアプローチ練習から軽くハーフでも、なんてことを考えていましたが昨晩遅くに降った雪でこの通り。

流石のゴルフ馬鹿も雪には敵わず、ということで今日は退散でした。

D6DE9C5E-C9F4-404E-A3D7-C28D9C133A55.jpg
posted by 愛甲知己 at 06:56| Comment(0) | TrackBack(0) | ゴルフ・あれこれ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ゴルフの村から

スコットランドの首都、エディンバラから東へ車で30分ほどのEast Lothian地方はジ・オープン開催コースであり世界最古のゴルフクラブ・The Honorable Company of Edinburgh Golfersが本拠地としているミュアフィールド(Muirfield)(*1)や、近代ゴルフの巨星・トム・モリス親子がダン兄弟との試合後、「ヤング・トムの妻が難産の末危篤」の報を受け急遽フォース湾を舟で渡ってセント・アンドリュースに帰ったという逸話が残るノース・バーウィック(North Berwick)など、リンクス銀座と呼ばれるほど沢山のリンクスコースが連なっています。その中心に位置するのがガラン(Gullane)の村です。
Gullane.jpg




【雄大なガランの丘を打ち上げて越えた先に広大なリンクスとフォース湾が広がる】

ここでは350年以上前からゴルフが行われていました。現在はNo.1からNo.3までの3つの18ホールと子供用コース、クラブハウスとプロショップに加え、銀行とパン屋とスーパーとパブが1軒ずつと数十軒のB&Bとホテルから成り立っている、まさにゴルフが中心の村です。Old Clubhouse.jpg




【ガラン村にある唯一のパブ・The Old Clubhouse。雰囲気も料理もとても良くお勧めです】

さて、そのガランのプロショップの一角に「The Heritage of Golf」(*2)という知る人ぞ知るゴルフ博物館があるのですが、実はここはゴルフ史家の間でも有名なアーチー・ベアード(Archie Baird)氏の私設博物館で、初期のボールやクラブ、絵画などゴルフ史を語る上で重要で価値ある品々が展示されています。ガランでゴルフをした人は多いと思いますが、ここに立ち寄ったという人は少なくとも私の周りの日本人ではいません。それもそのはず、ここは常時開館しているのではなく、展示物の持ち主であるベアード氏に事前に電話予約が必要なので、そこまでする人も少ないということでしょう。ゴルフ馬鹿としてはもちろん「そこまでして」貴重な展示物の数々を拝見し、ベアード氏の「うんちく」を拝聴して来ました。

Archie Baird.jpg



【Archie Baird氏と、ところ狭しと並ぶ蒐集品の数々。氏ご自身はガレーンとミュアフィールドの名誉会員でもある】

このベアード氏、第1回ジ・オープン優勝者・ウィリー・パーク・シニア(Willie Park Sr.)(*3)のひ孫娘を妻に迎えたことからゴルフ史に興味を持ったそうで、それ以来ゴルフの「アンティーク」蒐集やガレーンのゴルフ史を著すなど、趣味の域を超えた功績を残しています。幾つか日本の雑誌でも紹介されており、ご丁寧に掲載誌をデスクに置いて日本人訪問者が来るたびに見せているようです。この記事を連載コラムに掲載したロンドンの「ユーロニュース」もそのコレクションに加わっています。ガランでのプレーの際には是非一度訪れてみてもらいたい場所です。ベアード氏の説明が少し長くてくどいのと、著書とDVDの購入を勧められますが(笑)、展示物は見る価値が十分あります。「ユーロニュース」が博物館のデスクに置かれるのにそんなこと書いていいのか、と心配して下さった方、ベアード氏は日本語が分かりませんので大丈夫です。これから行かれる方に於かれましてはくれぐれもこの記事の内容の訳などされぬようお願いいたします(笑)。


【注釈】
*1) 1744年、13条からなる最初のゴルフ・ルールが規定されたと同時に、リース(Leith)のパブ・ルーキー・クレファンス・ターバンに集まっていたゴルフファーによって世界最古のゴルフクラブThe Gentlemen Golfers in Leithが結成された。1768年に現在の名前に変更され、1836年にMusselburgh、1891にMuirfieldに移転し現在に至る。次回は2013年にMuirfieldでジ・オープンが開催される。

*2) Archie Baird Golf Museumとも呼ばれている。
 閲覧希望予約先:Mr. Archie Baird Tel: 01875 870 277

*3) 1860年の第1回から1年休みを挟んで1872年まで12回連続、合計24回ジ・オープンを開催しているプレストウィック(Prestwick)、その第1回を含め合計4回の優勝は全てそのプレストウィックでのもの。第1回大会は12ホールを3回、計36ホールの合計スコアで争われ彼の優勝スコアは174。今とは道具もコースコンディションも違うので「時代が違えばオレも勝てたかも」などと思ってはいけません。
posted by 愛甲知己 at 01:36| Comment(0) | TrackBack(0) | ゴルフ・あれこれ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月14日

もしもゴルフ馬鹿が日本へ一時帰国をしたら(通称:もし馬鹿)

1452年、あまりにゴルフに熱中しすぎ弓の訓練をサボる輩が続出したことから、スコットランド王・ジェームス2世により発令された「ゴルフ禁止令」。現存する最古のゴルフに関する記述として有名ですが、実はスコットランドの著名な作家Andrew Lang(*1)の著書「A Monk of Fife」の中に1428年10月にSt. Andrewsでゴルフが行われたという記述があります。これが何と対戦相手をアイアンクラブで殴り殺した出来事というのがただ事ではありませんが、いずれにしてもこれらのことから少なくとも14世紀後半には既に多くのゴルフ馬鹿がいらっしゃった訳ですね。

さて、それから600年以上後の某年9月、脈々と続くゴルフ馬鹿を受け継いだ1人の男が1週間ほど日本へ帰国した時の話です。事情により直行便の予約が取れずやむなく経由便での帰国となったのですが、その経由地がタイのバンコク。タイにはちょっとうるさいこの男、早朝着−>午前中乗継のご案内を無理やり夜便まで延ばし、丸1日バンコクで過ごすことにしました。で、何をするかはもうお分かりですね?そう、ゴルフです。知人の現地在住プロゴルファーに連絡しどこか良いコースはないかと尋ねたところ、快く同伴してくれるという嬉しいお返事。しかも早朝空港へのお迎え付という至れり尽くせりのご対応に感謝です。

Royal Gem City 2.jpg





【Royal Gem Cityの11番グリーンとその先に見える12番。オーガスタのアーメンコーナーと呼ばれる名物ホールそのままコピーしています】

プロご推奨のコースは今話題というRoyal Gem City。18ホール完成していますが未だ仮オープン。計画通りに事が進むと63ホールを擁する世界最大のコースになるとか。まあ、そこはお国柄でいつになるかは分かりませんが。
このコース、大きな声では言えませんが、18ホール全てが世界の有名コースのコピーなのです。前半9ホールはオールドコース17番ロードホールや米国TPCソーグラスの17番「浮島」パー3などを集めており、後半はオーガスタ(*2)のイン(*3)9ホールをそっくりコピーしているのです。タイらしいと言えばらしいです。

Thai_Cady.jpg





【「微笑みの国」タイのキャディーさん。文字通りの笑顔に癒されます】


そんなバンコクでのゴルフを堪能しその日の夜便で羽田へ。早朝到着後直ちに高速バスに飛び乗りアクアライン経由千葉へ。既に帰国したゴルフ馬鹿仲間の友人が千葉のメンバーコースに招待してくれたので、これは駆けつけねば、と新装羽田空港を10分で通過、バンコクに続き9月といえどもまだ暑い日本、しかもその日は快晴の真夏日の中、機中2泊2ラウンド目のゴルフに突入したのでした。

Chiba Isumi18.jpg




【千葉県の某コース。すり鉢状で左右どちらからもフェアウェイに戻って来るという日本的レイアウトが懐かしい】

英国を出て3日目にようやく目的地へ到着したのですが、こんな予定で帰ったお陰で時差ボケもなくぐっすりと睡眠。機中で各々2−3時間しか寝ていないのですから当然といえば当然ですね。

実はこれで終わりではありません。使えるコネを総動員して日本でも有名レッスンプロへの接触に成功。しかも特別にレッスンも受けてしまったという素晴らしいおまけ付。
決してゴルフの為の一時帰国ではありませんので悪しからず・・・


【注釈】
*1) Andrew Lang (1844-1912) スコットランドの詩人、小説家、人類学者など。古い民話や童話の収集家としても有名で、ゴルフについての著書も多い。A Monk of Fifeは16世紀スコットランド貴族ノーマン・レスリー( Norman Leslie)による史書を編纂した1895年の作品。

*2) 毎年4月にゴルフの祭典「マスターズ」が開催される、米国ジョージア州にあるオーガスタ・ナショナル・ゴルフクラブ。年間のほとんどがマスターズの準備にあてられ、世界中にいる約300名の会員でもプレー可能な時期は数ヶ月しかないという、まさにマスターズのためのコース。

*3) オールドコースをはじめ、初期のゴルフコースは1番ホールを出て徐々に町から遠ざかり、最も遠い10番から折り返して戻って来る、というレイアウトのため、前半の9ホールを(ゴーイング)アウト、後半9ホールを(カミング)インと呼ぶ。その後の多くのコースは9ホールでクラブハウスに戻って来てしまうレイアウトであるが、前後半の呼び名は当時のまま「アウト」「イン」が使われている。
posted by 愛甲知己 at 07:50| Comment(0) | TrackBack(0) | ゴルフ・あれこれ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月11日

ああ、憧れのリンクス - (ユーロニュース・コラム「なんてったってゴルフ馬鹿」第1回復刻版!)

ふた昔も前、初めて「リンクス」なるコースを見たとき「これがゴルフ場?」と衝撃を受けたものでした。あれは1986年、今から25年前のジ・オープン(*1)をTVで観た時のこと。コース名も忘れていましたが、とにかくリンクスの印象だけは鮮明に残ったのです。
Turnberry.jpg





【ゴルフ馬鹿に衝撃を与えた1986年ジ・オープン開催のターンベリー。とてもゴルフコースには見えません・・・】

その頃日本で月イチゴルファーだった私にとってのゴルフコースとは、フェアウェイは綺麗に整備され、ラフはボールが浮いてむしろフェアウェイより打ち易く、OBを打てば前進して平らなマットの上から打ち直せ、クラブの用意もボールを拭くのもバンカーを均すのも全てキャディーさんがしてくれ、ついでにクラブハウスは御殿のように豪華−というものでした。時代はバブルだったのですねー。そこにいきなり自然剥き出し−フェアウェイは大きくうねり、ラフは膝より深く、小さく深いバンカーが無数にあり、おまけに激しい風雨かと思えば突然陽が射す− の映像を見て、そして解説の某氏がしきりに「ゴルフ発祥の地」「最古のトーナメント」などと言うのを聞いて「本物のゴルフって違うもの?」と疑問を持ち、さらに「いつか必ず彼の地に行きたい」と思い始めたのでした。
それは突然やって来ました。あの衝撃から15年、縁あって欧州生活をはじめた私は、仲間と連れ立ってあのSt Andrewsでゴルフをすることになったのです!コースはオールドではなくニューコース(*2)だったのですがそんなことはどうでもよく「St Andrewsでゴルフ」というだけで興奮していました。前日の飲みが深夜に及び、仲間の運転する車でウトウトしていた私の目にいきなり映像では見慣れた憧れの光景 −右にはR&A(*3)の建物、18番グリーン脇にはトム・モリスショップ(*4)などが軒を連ね、
TomMorris Shop.jpg

【現在もモリス家の末裔が経営するトム・モリスショップ。セールの時がお得です。笑】


左を向けばスウィルカン橋(*5)の先にオールドコースホテル− が飛び込んできたのです。本当に意表を衝かれました。
Old Course.jpg


【St Andrews オールドコース1番と18番ホールを望む。左奥がR&A、手前をスウィルカン側が蛇行し、右端に見える石造りの橋がスウィルカン橋。(日曜の散歩中に撮影・・・)】


だっていきなり車でオールドコースのフェアウェイを横切るなんて想像もしていませんでしたから。二日酔い気味な仲間のけだるい、そして冷やかな視線をよそに、その場で1人興奮し大騒ぎをしていたのでした。
 ゴルフの聖地と言われるオールドコースですが元々は市民の広場、大会のない日曜はコースが散歩道として開放され、この地を訪れる度にゴルフが生活の一部に溶け込んでいることを実感するのですが、最初に訪れたあの感動と、それを見てポカンとしていた仲間の視線は今でも忘れません。
ところで、ゴルフの起源には古代ローマのパガニカ、オランダのコルベンや中国のツイワン(捶丸)など諸説ありますが、スコットランドのリンクスがゴルフの歴史を育み、そして現在のゴルフの原型となったのがオールドコースであることは紛れもない事実で、そのことに多大な貢献をしたのがオールド・トム・モリスです。例えばゴルフコースが18ホールを基準としているのはオールドコースが18ホールだったからであり、それまで各コースでバラバラだったカップ(ホール)の大きさが直径108ミリに統一されたのはトム・モリスがSt Andrews市の水道管をホールに埋めたからだったりします。
そんなゴルフ発祥の国で、歴史に触れながら自然にゴルフと向き合える環境は、ゴルフ馬鹿に磨きをかけるには最適な場所なのでした。

【注釈】
*1)世界最古のトーナメントである全英オープンは「真のオープン」という意味で単に定冠詞のみをつけてThe Openと呼ばれる。1986年はターンベリーで行われ、当時日本人として初めて最終日最終組でプレーした中嶋常幸選手は結局8位タイに終わり、同組のグレッグ・ノーマン(豪)が優勝した。
*2)現在St Andrews Linksには最古のオールドコースの他2008年オープンのキャッスルコースを含め7つのリンクスコースがある。ニューコースは「世界最古の“ニュー”コース」と呼ばれ、1895年にオープンした十分に“オールド”なコース。
*3)Royal & Ancient Golf Club。ゴルフルールの改訂や道具に関する規制など、ゴルフに関する全てを取り仕切る総本山。
*4)Tom Morris親子の父がOld Tom、息子がYoung Tom、2人でジ・オープン4勝ずつという近代ゴルフ初期の巨星。24歳の若さで早逝したYoung Tomに対してOld Tomは86歳までの長寿を全うしゴルフの発展に大きな功績を残した。
*5)オールドコース18番ホールを横切る小川(スウィルカンバーン)に掛かる橋の名称。
オールドコースを初めてプレーする人は10人中10人がこの橋の上で記念撮影をする名所でもある。
posted by 愛甲知己 at 05:44| Comment(0) | TrackBack(0) | ゴルフ・あれこれ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月04日

2016年の初打ちは・・・

新年あけましておめでとうございます。
2016年もゴルフ馬鹿全開で突っ走りますので、どうぞよろしくお願いいたします。
・・・という訳で新年初打ちは1月3日(日)に所属クラブ・Hoebridge GCのMonthly Medalから。
最近ではストロークのメダルよりもポイントのステーブルフォードの方が好きなのですが、毎月1回ずつあるので仕方ありません。
実はこの年末年始は10年振りにスキーに行ってまして、前日の土曜の夜に帰宅予定だったのですが、こちらではありがちなフライトの遅れによって帰宅が午前3時!ティーオフが7:56でしたから何とも慌ただしいスタートになりました。
まあ、こういうゴルフ馬鹿的な流れは大好きなんですけどね(^^;
この時期のイギリスは陽が短いのでまだ夜が明けきれていない薄暗い中今年最初のショットはまずまず。
出だしもパー、バーディーと「ん?今年は良いかも?」などと思ったのも束の間、5h頃から雨が降り出し徐々に雨足も強くなって風も出て来ました。
IMG_0272.JPG(この後明るくなるにつれて風雨が激しく・・・)

それでも前半はなんとか持ちこたえていましたが後半に入るとほとんど暴風雨状態で、レインウェアの隙間から雨も入って最後はパンツまでずぶ濡れ。おまけに手も悴んで行ってんして「修行」に突入でした。
最初の気分はどこへやら、ある意味イギリス「らしい」幕開けです。
最初がこれですから後は良くなる一方、と勝手に思っているゴルフ馬鹿を今年もよろしくお願いいたします。
posted by 愛甲知己 at 03:10| Comment(0) | TrackBack(0) | ゴルフ・ラウンドレポート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年10月06日

ライダーカップのために作られたコース ー Celtic Manor

普段から「ゴルフ馬鹿」を吹聴しているといいこともあるようで(^^;;
Wales在住の方から2010年ライダーカップ開催のCeltic Manor 2010Course (Twenty Tenコースと呼びます)でのラウンドにお誘いいただきましたm(_ _)m

image-20131006063218.png

ここはまさにこの大会のために作られらたと言っても過言ではないコースです。

ところで私愛甲は、というかこちら英国の殆どのゴルファーは、トイレ以外にロッカールームを使用することは滅多にないのですが、ライダーカップで選手が使用したとなればそこはミーハー丸出しで今回は使わせていただきました。

私たちに割り当てて下さったのはアウェイの米国側、ロッカーには当時使用した選手のネームプレートを残していて、Tiger Wood、Phil Mickelsonなど錚々たる名前が入っています。
残念ながらこの日は選手使用のロッカーは空いてなかったので、タイガーの2つ隣りを使いました(笑)

さて、コースの方はとても美しくそしてタフなコースでした。レギュラーティーからですが距離も十分あり、ミスショットが救われるラッキーがない、そういう意味ではフェアな設計です。

この日は日本からいらっしゃった方とご一緒したのですが、皆さん絶賛していました。

image-20131006063247.png

ただ、あくまでも個人的な意見として言わせてもらうと、もちろん素晴らしいコースだと思いますがリンクスに嵌ってしまった私愛甲にとっては、「人口的」という印象が残ったのも事実です(^^;;.

image-20131006063303.png

posted by 愛甲知己 at 14:33| Comment(0) | TrackBack(0) | ゴルフ・ラウンドレポート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。